建前を語る人
日本の特有のコミュニケーション。
「本年」と「建前」
これがどのようにして生まれたのか?
街行く人に聞いてみた。
『考えたこともなかった、なんででしょうね』
そこから何回かやりとりをしていたら
『すいません。待ち合わせをしてるので、ちょっと・・・
ん?ちょっと?
ちょっとって何だ?
そう疑問に思いながら
話を投げかけると、また同じフレーズ
『すいません、ちょっと・・・』
ハッ!(゜゜;)←たのしみず
「あ、もしかしてこれ以上話したくないってことですか?」
『・・待ち合わせの人がいるので・・』
結局、最後まで
その人は曖昧な返事で別れた。
自分が何を言っているのか
本音なのか建前なのか
それすらもわからない感じでした。
自分の考え・感情・言葉・行動・表情
それすらも統制することができない。
周りの条件・状況により
条件反射で体は反応する。
そんなロボットみたいな生き方が
本当に人間の生き方なんだろうか。
人間の尊厳とはなんなのか。
今のロボットの急速な進化の中で
人間としての生き方を問われる時代だ。
もはや先生も人工知能がしている。
そんな時代がもうそこまで来ている。
私たちが次にどう生きていくのか考えてるべき時代ではないのかな。
目の前の仕事も大切だけど
本当に大切なものは目に見えない。
私たちはそんな夢物語の中にいるのかもしれない。
危機を煽るだけではなく
だから自分が思うがままに
描くがままに生きてける
その道を提示をしていきたい。
日本は、人間はこんなもんじゃない。
愛する素粒子のため
愛する電子のため
愛する原子核のため
愛する植物のため
愛する動物のため
愛する人間のため
愛する仲間のため
この体を持った自分以外を自分と思えるのは日本だ。
その日々の決断の深さが問われる。
夢を語るだけではなく、揺るがない実践行動の証と共に。
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